ターボル


プラハ、旧市街広場のヤン・フス像 原曲はプラハの聖職者ヤン・フスによる カトリックへの宗教改革に端を発する宗教戦争を題材にしています。 ターボルはフス派の拠点となった南ボヘミアの町で、 フス派の賛美歌がこの曲と、「ブラニーク」の中でモチーフとして使われています。

左の写真はプラハの旧市街広場にある ヤン・フスの記念碑です。
フスはルターより約100年早く、 当時のカトリック教会の在り方に疑問を呈し、 プラハのベトレーム礼拝堂での説教によって、 教会改革を訴えました。 が、ルターとは異なり、有力な支持者に恵まれなかったフスは、 ドイツのコンスタンツで開かれた公会議で異端を宣告され、 かの地で火刑に処せられてしまいます。
しかし、フスの死後も 彼の教義の支持者(フス派)の勢力は衰えず、 フス派とカトリックの対立は激化し、フス戦争に突入、 両者の対立は長期化し、やがて中央ヨーロッパを疲弊させる30年戦争の火種となっていきます。

プラハの旧市街広場の一角にティーン教会がありますが、 初めてチェコを訪れた1992年の夏のある日、午後4時ちょうどに、 ティーン教会から(それとも手前のティーン学校から?) 「ターボル」「ブラニーク」でおなじみの、フス派の讃美歌の トランペット演奏がありました。
他日、同時刻、また他の正時にも、旧市街広場に立ちましたが、 同様のトランペットの演奏を聞くことは、とうとうできませんでした。
この時の演奏が教会行事の案内だったのか、定例行事なのか、特別行事だったのか、 未だにわかりませんが、フスの像を前に聞いた讃美歌はとても印象的でした。


ターボル ターボルはフス派急進派の拠点として造られた町です。
ターボルの軍事的指導者であったヤン・ジシュカは、 カトリック側が派遣した十字軍と、フス派とのプラハの攻防に ターボル軍を率いて援軍し、十字軍を破ります(フス戦争)。
この時フス派の砦が築かれた丘が、 ジシュコフの丘(プラハ3区)で、 ヤン・ジシュカの像が立っています。

ターボルの町(旧市街)の地下には通路がめぐらせてあり、 町の中心、ジシュカ広場に面した博物館では、 この地下通路のガイドツアーも行っています。
ちょうど、観光シーズンにターボルを訪れたためか、 ジシュカ広場では、騎士や戦士の衣装を着けた青年たちによる 剣術や、大砲の空撃ちのパフォーマンスを見ることができました。
お土産には、クロパーチ (モーニングスター、棒に棘つきの鉄球が鎖でつないである武器)の ミニチュアが売られていました。
大砲も、クロパーチも、ターボルの軍が用い、騎馬主体の十字軍を圧倒した武器です。
博物館には、当時の鎧兜、様々な武器が展示してあり、 たとえターボルの歴史を知らなくても、 ドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーのような コンピュータ・ゲーム(RPG)好きの方には、 この中世の要塞都市ターボルは興味深い、たまらなく魅力的な町になる筈です。

ビーラー・ホラ こちらは、プラハ6区のビーラー・ホラです。
フス戦争以来、続いていたフス派とカトリックとの対立ですが、 1620年のここでの戦いで、チェコにおけるカトリックの優位が 確立します。
現在、ビーラー・ホラはご覧のような草原になっていて、 記念碑が建てられています。
近くには、カトリック側の戦勝記念の勝利の聖母マリア教会と、 フヴィェズダ荘(夏の別荘)があり、ここは 『チェコの古い伝説』を書いたイラーセックと、 その挿絵を描いたアレシュの博物館になっています。
場所的にはエヴロプスカー通りをはさんで、シャールカの反対方向になります。

蛇足ですが、「ターボル」という地名は旧約聖書に出てくる山の名前に由来します。
「ヨルダン」池の名の由来も、国名やヨルダン河でおなじみのあのヨルダンです。 日本のチェーン展開しているパン屋さん、『モンタボー』もフランス語で「タボル山」。



チェコ語のカナ表記について

チェコ語は日本語では使わない音がたくさんある言葉です。 正確にチェコ語を日本語のカナで表現することはできませんが、 なるべくチェコ語に近い表記を試みてみました。



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